2009年10月21日 (水)

IFSAのおすすめ=たまには幕張のザ・マンハッタンなど、東京近郊のホテルに泊まるのも

◇どこか近間で軽~く一泊し、気分転換をしたいなということで妻と一致した。◇板橋の家をスタート地点にするなら、群馬県・栃木県・茨城県あたりまで。◇横浜の家からなら、伊豆半島か静岡県・山梨県くらい。

◇しかしわれわれはもう相当に行き尽くしているため、どこも新鮮味に欠ける。◇泊まったことのない磯部温泉(群馬県)あたりを一応調べてはみたが、これもムリムリの感が否めない。

◇さて困ったと思っていたら、メルマガのyoyaQ.が飛び込んできた。◇それほど期待はせずに見てみると、幕張(千葉市美浜区)のホテル ザ・マンハッタンがあらわれる。おお、懐かしい。◇というのも、私のいた企業の子会社がかつて幕張のワールドビジネスガーデン(WBG)に入っており、そこを何度かか訪れた際、このマンハッタンの外形と名称とになぜか惹かれるものを覚えたからだ。

◇都市ホテル大好き人間としては、どうしても探検してみたいところのひとつであった。◇しかもその日のyoyaQ.によれば、目玉が飛び出るほど?の<安さ>ときている。◇このタイミングも何かの縁。妻に相談すると、何だかさっぱり分からないけれどまあいいでしょうといった反応が返ってきた。

◇早速ネットから予約を入れたのはいうまでもない。◇当日は知らないルートを使ってクルマを走らせるをテーゼに出かけた◇妻も私も、何時までに何をしなければいけないといった身分からは解放されているため、そこは実にのんびりとしたもの。

◇中山道(R17)の大和町(板橋本町)交差点から環状7号線(環七)の外回りへ入り、ぐるっと時計回りで千葉の海まで行ってみようとの算段だ。◇JR常磐線とクロスする亀有とか京成電車と交わる青砥(=同じアオトでも駅名はこれで、地名は葛飾区青戸)までは走ったことがあるものの、その先の環七となると東京通を自認するIFSAもおぼつなかい。

◇いつしかクルマは江戸川区へ入り、新中川と平行して走る。一路南下しているからそろそろ東へと考えるころ、ちょうどいい案配に千葉街道との交差点に達したため、ためらわず左折。それが間違いのもとだった。

◇この道はすぐに京葉道路(有料)の側道気味と化し、なおも進めばT字路に。大河の名がふさわしい江戸川へぶちあたったのだった。◇有料道路のほうは水面をすいすいと越えていくが、寂しいかなわれわれ一般道には橋がない。◇では再度南下をと思えば、東西に旧江戸川がしっかり横切っていてこれまた橋はゼロ!とカーナビが伝える。

◇しかしヒマ人はあわてない。というより、むしろこれを楽しむ。◇ならば江戸川に沿って土手道を上流(=北)へと上り直し、最初の橋で右折して千葉県へ入ればいいじゃないかと楽観的な対応で逃げる。◇逆に、知らない町を走れた僥倖(ぎょうこう)を妻ともども歓迎した。

◇それにしても悪名高き<公共事業>よ。つまらないことばかりしていないで、こういうところにこそばっちりと橋をかけるべきなのだ。

◇しばらくしてあらわれたのは市川橋R14(=東京の靖国通りからずっとつながっている国道)が千葉へ入らんとする橋なのであった。◇われわれにとってはこれが結果オーライのgood!に。◇というのも、妻が最近気に入っている「渋カフェ」(註)掲載の喫茶店が市川市中山にあるというからだ。

(註)=「渋カフェ」(「散歩の達人」のムック・交通新聞社刊・2009.07)。<渋カフェ>とは渋谷のカフェではなく「渋いカフェや喫茶店」と冒頭にある。

◇さてカーナビで案内されたのは、何と<市川市東山魁夷記念館>。どうやら目指すカフェはこのなかにあるらしい。◇妻は昔から魁夷が好きだったというので、ためらわず駐車場へ。◇まずは併設の<白馬亭>へ行けば、営業上手の女性が出てきて「ここは精養軒の経営ですから」と誇らしげにささやく。

◇うん、精養軒?何年か前、上野論を書く材料にと久しぶりに入った上野精養軒のディナー。◇値段の割には貧相な内容にびっくりさせられた経緯も加わり、老舗をありがたがる気持ちなどさらさらないものの、せっかくだし雰囲気はいいからと渋々入ってみた。

◇ところがどうだろう。妻の食べたハヤシライスのおいしいこと。庭を見ながらのこの喫茶店は相当のおすすめといえる。◇妻だけ記念館をまわっている間、私は周辺を散策した。前の道路が江戸研究者には欠かせない木下(きおろし)街道と知り、何だか心が騒いだ。

◇この静かな町の周辺には、古刹・法華経寺やミスマッチの中山競馬場が。◇近くに私のいた会社の社宅があったことから、だんだんと記憶がよみがえってきた。◇魁夷が居宅を構えただけのことはある、静かでいい住宅街だ。

◇さて本日のメーン、幕張のホテル ザ・マンハッタンへ急がねば。海が見えるというのに、暗くなって入ったのではイミがない。◇と言いつつ、有名な谷津干潟だけはこの目で見ておかねばと、関心を示さぬ妻の許可を取りつけあえて遠回りをする。

◇ザ・マンハッタンは、海岸線に平行というより、むしろ直角に建っているビル。だからオーシャンビューの部屋が少ないというのをフロントの説明ではじめて知った。◇しかし親切なホテルマンは、格安値段にもかかわらず、眼下に東京湾をのぞむ16階のドンピシャ・ルームを割り当ててくれた。

◇部屋はマンハッタンスタンダードという30平方メートルのツイン。はじめは狭い感じがしたが、抜群に広いバスとウオーキングクロゼットにスペースをかなりとられているのが分かり、納得。◇いればいるほど快適な部屋と化してきた。◇それに、温度ばかりか湿度調整まで可能ときている。

◇夕食は2階のフレンチ「ベラ・ルーサ」へ。雰囲気も接客もgood!だし、値段もリーズナブル。食事の内容もよい。◇ただ、肉も魚料理も若干味が濃いかなというのがわれわれふたりの主観的感想であった。

◇また駐車場は、チェックアウトの12:00まで無料。それゆえ、ここに泊まって京葉線でディズニーランド(シー?)へ出かける客も多いらしい。◇ところでこのホテル、三菱地所系列のロイヤルパークホテルグループとは知らなかった。◇そのせいか、スタートから20年近くたっているというのに、どこも荒れていないのがうれしい。

◇1年に2度ほどは骨休めに利用したい都市型リゾートホテルに思えた。◇何しろ、板橋の家から横浜の家へ行くよりも近いし、それでいてあまり知らない千葉という<異文化>も味わえる。われわれにはちょうどいい具合だった。

◇ところで、この周辺はホテルが林立している。地盤沈下の激しい幕張地区にあり(=かつてウオーターフロントなどの空虚なキャッチフレーズに踊らされた企業も、いくつかは再び東京へと舞い戻っていった)、経営がはたして成り立つのだろうか。◇もう少しで始まる東京モーターショー開催時などを除けば。

ザ・マンハッタンの隣には、ホテルフランクスホテルグリーンタワー幕張が、そしてその前方にはホテルニューオータニ幕張と全面ガラス張りの超高層・旧幕張プリンスホテルがまるでバブルの塔のようにそびえ立つ。

◇翌朝散歩がてら、旧プリンスを見学に行って驚いた。◇いまは何と、テレビで顔なじみのおばちゃんが社長をつとめるアパホテル&リゾート(東京ベイ幕張)に変身してしまっている。◇しかし敷地内に足を踏み入れれば草は生えているし、ロビー周辺は薄暗くて雑然としているし・・・・・・・。◇何ともいえぬ索漠ぶりに、そそくさと失礼させてもらった。

◇翌日はまっすぐ帰るのも芸がないとばかり、大回りを承知で東京湾アクアラインルートを選択。一度、森田健作センセイの800円を体験するのも悪くはないかと。◇走ってみてびっくりした。首都高東京線より100円高いだけというのにこの交通量。いかに建設のFSがデタラメだったかを如実に物語っている。

◇そう、需要がない!平日に走ってみればこれがよく分かる。

◇しかしこの<大回り社会科見学>の収穫はもうひとつあった。◇昨晩、持参のPCで調べておいた木更津市内の<うおせい>。昼食時で20分ほど並びはしたものの、味・CPともに抜群!ぜひもう一度行きたい店のひとつだ。

★★[IFSA・阿部社会学ラボ]★★阿部道生★

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2009年8月21日 (金)

北海道マイナートリップ=石狩川河口が<石狩市>って、不覚にもIFSAは知らなかった

◇この政治の季節。別に韜晦(とうかい)しようというわけではないが、前回に続いて北海道のマイナートリップを楽しみたい。◇まずは前篇にあたる2009.08.15のIFSA通信【IFSAの北海道マイナートリップ=おそらくは誰もがイメージしにくい<石狩市>へあえて】よりお読みいただければと思う。

◇ただの一度も訪れたとがない町というだけではるばるクルマを飛ばしてきた石狩市。◇北海道の中心をなす札幌や新千歳空港、それにかつての中心地小樽からもそんなに遠くないとは東京へ帰る日にはじめて気づいたところだが、観光地としてはまったく注目されない石狩市であれば、内面上はやはり遠隔地であるにちがいはない。

◇物好きにもこの石狩市に宿をとったわれわれ夫婦は、翌朝になってスケジューリングのミスに気づかされることとなる。◇何しろ夕方には新千歳空港から帰京しなければならないというのに、どうやらこの石狩市、石狩川河口エリアばかりかマイナーながら見どころいっぱいとおぼしき様相なのだから。

◇しかし、日本有数の大河・石狩川の河口都市がこの石狩市といった認識すら希薄だったIFSAは、そればかりか、言われてみてはじめてここが石狩鍋の発祥地!とひざを打つくらいの唐変木。

◇そういえば、石狩川って旭川市の中心を流れる川くらいの知識しかなかったと思い返す。◇中学時代に仕入れた知識では、まあ<石狩平野>や<石狩原野>が精いっぱいだったであったろうか。

◇さて、昨晩の宿<石狩温泉 ホテル番屋の湯>を出て真向かいの<いしかり砂丘の風資料館>へ入ったわれわれは驚いた。◇学芸員の話から、宿もこの資料館も、地図上は見るからにか細い砂嘴(さし)の上に立地することを知ったからだ。

◇IFSAの浅い経験では、川というものは通常、海に対してほぼ直角に注ぎ込む。若干角度があったにしてもまあ70度ほどくらい。◇それがどうだろう、この石狩川は、海まであと500mちょっとというところで急に右折し、それから海とほぼ4kmほども並走したあと、ちょこっと首を左に振って日本海へ注ぐという奇妙な行動をとるのだ。

◇こんな川って、他にそんなにあるものだろうか。◇そう、IFSAが見たかぎりでは、同じ北海道の日本海側に流れ出すこれまた大河の天塩川がそうだった。◇かつて、稚内から日本海に沿って留萌を目指した際、突然大きな川が海と平行に南下するのを目撃し、ぶったまげたことがある。

◇まあそれはともかく、日本海と石狩川がサンドイッチにする細い砂嘴というか砂丘&海浜地帯。◇一度地質学的にしっかり学びたいと思うが、海の直前で川が勝手に曲がったというよりは、海側からの強い風波によって砂が積み上がり、川が押し曲げられたというイメージに近いだろうか。

◇そうはいえ、幅500m前後、長さ4km強もの砂嘴とあらば、その上にいる人間にとっては単なる陸地としか感じられない。◇ホテルもあるし民家もあるし飲み屋もある、そこへ道路が何本も交差する通常の町並み景観なのだから。

◇しかし、前記資料館のパンフレットは高らかに謳(うた)う。◇「北海道一の大河、石狩川と日本海が出会うところ。この地に形づくられた自然環境と、そこにやってくるサケを求めて集まってきた人々-- 石狩川河口地域は、石狩の原点です」。

◇この砂嘴の海側には石狩浜が形成され、北海道随一の海水浴場だという。◇札幌や小樽から大勢の海水浴客が短い夏を楽しみにくるのだろう。◇そして砂嘴の先端部(石狩川河口付近)にかけては、海浜植物の宝庫たる広大な<はまなすの丘>が展開する。

◇この海浜植物保護地区のスタート地点にはヴィジターセンターと灯台があり、そこからはよく整備された木道を利用し、かわいい花を鑑賞しながらの散策を満喫できる。◇北海道に点在する遠い原生花園まで行かなくとも、札幌からバスで60分弱のここなどまさに手軽な<観光地>といえるのではないか。

◇ところでこの石狩川にはいくつかのエピソードがある。◇まずは交通手段のない時代、この大河こそが北海道内へと進入する最大のルートだったという点。

◇古本屋店頭のワゴンにてわずか250円で求めた『流域紀行』(朝日新聞社・1973年)をひもとけば、作家の吉村昭が「石狩川」と題したエッセーを寄せていて教えられる。

◇「未開の地であった北海道に開拓のための調査が開始されたのは、江戸時代末期以後で、内部への探査は、北海道の中央部に深く食い込んでいる石狩川を中心におこなわれた」。◇「陸路をたどることは困難なので、丸木船による遡行調査が実施されたのである」。

◇「その後明治時代に入って開拓使の設置とともに、石狩川流域の開発は本格化し、北海道開発の原動力ともなったのである」。◇さらに「石狩町は、古くから北海道南部と北部を結ぶ文化、交通の中心地であると同時に、鮭漁で生きてきた町であった」(以上、吉村昭)。

◇さらに吉村は、恐ろしいことを書き記す。◇「明治新政府は、佐賀の乱、新風連の乱、西南戦役の国事犯を収容する集治監を北海道に設置する計画を立て・・・・・・・」。◇そこで最終的に選ばれたのが、石狩川を遡ったところにある現・月形町だったというのだ。

◇この「未開地北海道の内陸部の孤島とも呼ぶべき地」の樺戸監獄(当時の月形村)には「(前略)大正八年に閉鎖されるまで常時千六百名平均の大罪人を収容し(後略)」とある。◇吉村に指摘されるまでもなく、伊藤博文・山県有朋らの顔が浮かぶではないか。

◇さて話題を石狩川本体に戻そう。◇この川は屈曲を繰り返すまさに暴れ川であり、明治から昭和にいたる大洪水・大水害は数知れなかったという。◇だからこそ、これがもたらす扇状地や沖積平野、自然堤防、三日月湖により北海道一の石狩原野が誕生した、たとえ泥炭の荒れ地であったとしてもとは言いうるのだが。

◇そこで川を直線化するショートカット工事(+)堤防の構築が本格的に開始されたのが大正7年。◇その後、1982年の石狩放水路開削をもってこのプロジェクトもほぼ完成をみる。◇そのおかげで?流域の各地には三日月湖(=河跡湖)が点在している。

◇結果、明治27年には流路延長が364kmあった石狩川は、現在では268km約100kmも短縮されてしまう(国交省北海道開発局刊行物より)。◇1570以上もの支流をもち、信濃川に次いで日本第二位であった石狩川は、これによって利根川に抜かれ第三位へと凋落(ちょうらく)。◇ただ、流域面積ではトップの利根川につけ、堂々の第二位をキープしている。

◇一連の洪水防止策と土地改良。これによって<石狩原野>は北海道ダントツの農牧地帯(石狩平野)へと見事な変身を遂げた。◇あの大都市サッポロだって、実は<石狩原野>に位置しているのをちょっと思い浮かべてみる。おそらくは違った視点が生まれよう。

◇時間的制約から、今回の旅ではこれくらいが限度の<石狩市>だったが、新千歳空港からそう遠くないこともあり、いずれ再チャレンジするつもりだ。

◇IFSAが唯一走り残している北海道海岸線は、石狩市を起点に隣の増毛(ましけ)町まで北上するルート。それからしても石狩市再訪はかたい。◇そうすれば、石狩市の中北部、厚田区と浜益区へ寄ることもできる。

◇次回こそ石狩市の宿は素泊まりとし、おいしそうな居酒屋をあたるとしたい。(敬称略)

★★[IFSA]★★Michio Abe

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2009年8月15日 (土)

IFSAの北海道マイナートリップ=おそらくは誰もがイメージしにくい<石狩市>へあえて

◇ここのところ政治ジャンルばかり扱ってきたIFSA通信だが、今回はバラエティーあるテーマ選択を旨とするIFSA本来に戻り、北海道を旅するとしよう。

◇若いころから旅行好きのIFSAは、離島を除けば夫婦でほぼ日本全域を歩いている(もしくはドライブしている)。◇北海道もその例外ではなく、7月の上旬に3泊4日の案を立ててはみたものの、今度はどこへ行ったものかとふたりで思案投げ首状態となってしまった。

◇一度も走ったことのないコースから割り出せば、北海道の西岸、江差から渡島(おしま)半島を奥尻海峡(=日本海)に沿って北上、最後は積丹半島&小樽を経由して石狩市までの道のりとなる。◇しかし、<点>としての江差・岩内(いわない)・積丹・小樽はすでに行ったことがあるから、それらの町をパスしながら4日間のコースを組めるかどうか。◇つまりは冗漫にならずに旅をできるかどうか。

◇まあ若い時分ならこう考え、計画自体をボツにしたことだろう。◇だがアラカンともなれば少しは練れてくるというか、トピックスのないことにもマイナスを感じなくなる。◇いや、知らない町や村を走るだけでいい、向こうから押し寄せてくるものが自然に心を動かしてくれるので。◇ここ何年かのアラカン的旅行体験がそう教えてくれている。

◇何も宮本常一の淡々とした世界を気取ろうとしなくとも、そうした心境に浸れるほどには馬齢を重ねた。◇水野晴郎じゃないけれど、いや~、馬齢って本当にいいものですね!だ。◇そこで無理やり練り上げたのが以下のコースである。

◇函館空港着レンタカーにて出発いきなり江差へ出て日本海に沿い北上1日目はちょっと内陸の八雲温泉・おぼこ荘(八雲町)泊。◇この八雲町が何ともおもしろい。この町は、内浦湾=別名・火湾(太平洋側)に面する旧八雲町日本海に面する旧熊石町が2005年に合併してできたものというが、宿の人に以下の事実を聞いて驚いた。

◇ひつの町で太平洋と日本海に面する自治体は間違いなくここだけという点。◇地図で見れば、新八雲町は渡島半島を横断してしまっている。いいのか悪いのかは別にして、強引なる平成大合併のなせる業といえよう。◇だから海産物も太平洋(+)日本海と豊富なんですよとは、宿の人の自慢話であった。

◇それともうひとつ。旧八雲町は渡島支庁、旧熊石町は檜山支庁だったが、それが合併して新八雲町は渡島支庁に。◇そのため、日本海に沿って南北にのびていた檜山支庁が渡島支庁に横から食い込まれ、分断の憂き目にというオチがつく。

◇それは北海道庁HPの<14支庁地図>を見れば歴然だ。◇こんなことをおもしろがるのは、物好きのIFSAだけだろうか。

◇さて翌朝再び日本海へ。せたな町・島牧村を経由して寿都(すっつ)町で一服なじみの岩内にて今度は海と別れ、途中、何度も泊まったことのある旧・ホテル日航アンヌプリ(=現在は売却され、ニセコノーザンリゾート・アンヌプリ)にてお茶を。

◇ただ、経営者がかわるとこうも?というありさまで、大変にがっかりしたそれからクルマを飛ばし、2泊目の支笏湖畔・丸駒温泉旅館を目指す。◇この旅館のもつ味とユニークさについては、いずれ独立項目にて書くとしよう。

◇3日目は倶知安(くっちゃん)経由積丹半島に入り、原発の泊村から時計回りで半島を走破。◇前回の記憶からしてそれほど期待してはいなかったが、半島先端の神威岬(かむいみさき)には無条件で圧倒された。すっごい。

◇さあ、日も落ちかけてきた。小樽郊外のバイパスを通り、高速道路を一部使って3泊目の石狩市へと急ぐ。◇宿泊場所はインターネットで見つけた<石狩温泉 ホテル番屋の湯>。◇全室夕日をのぞめる日本海に面し、裏はもうっちょっとで河口という石狩川が悠然と流れる絶好のロケーションである。

◇言うことのない立地だし、設備もまあまあだが、IFSAの推察するところおそらくは三セクであろう、食事がどこか公営っぽくイマイチだった。◇ただその分お安いし、温泉は最高。ぜいたくは言えない。

◇さてようやく、IFSA通信も本題の石狩市へたどり着いた。◇しかし石狩市って観光的には何がウリなの?わざわざここを求めて泊まる人などいるの?ではわれわれはなぜ?◇いや、事前に何も調べてきてはいないし、事実、主たるガイドブックでは見向きもされていないスポット。◇普通なら<無視>の対象だろう。

◇われわれだって、一度も来たことがないから来てみたというだけに尽きる。◇そう、夕食をとってからゆっくり見どころを探そうという程度にすぎない。◇多分、観光的には何もないとの予感のなかで。

◇しかし宿の資料で少々あたってみれば、現行の石狩市は北から<浜益(はまます)村+厚田(厚田)村+石狩市>の3自治体が合併してできたというだけあり、南北に異常に長い都市。◇そしておのおのがどうやらおもしろそうとくる。◇ただ明日の夕方には新千歳空港から帰京というスケジュール上、残念ながら浜益区と厚田区は割愛せざるを得ないとの認識に達した。

◇仕方がない。わずか半日しかないからホテル周辺だけで勝負ということに。◇川好きのIFSAにとっては、北海道第一の大河、かつては日本第二の長江、その石狩川の河口町というだけでもわくわくものなのだから、まあいいか。

◇この時点ではまだ、感動ものの「石狩浜」とか「はまなすの丘」がホテルの間近にあろうとは気づいてもいなかった。

◇その辺の詳細は次回にてということで。-つづく-

★★[IFSA・阿部社会学ラボ]★★阿部道生★ 

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2009年4月12日 (日)

IFSAのおすすめ=東京の本屋散策ならジュンク堂・新宿店。だが心配は採算性(下)

【IFSAのおすすめ=東京の本屋散策ならジュンク堂・新宿店。だが心配は採算性(上)】(2009.02.12)をアップロードしてから2カ月が過ぎてしまった。◇政治問題等が突出した余波とはいえ、間が抜けた話でまことに申し訳ありません。

◇さてその(上)では、かつての東京の大型書店を概観した後、IFSAはいまやジュンク堂書店・新宿店一本、それだけ魅力がありというところで終えた。◇今日はその新宿店そのものについてということで・・・・・・・。

◇実質的に閉店した新宿三越のテナントとして2フロア体制にて開店したジュンク堂・新宿店。◇斜め向かいに位置する紀伊國屋本店を意識してでのことは自明ながら、当初は何ともさえない姿で、お客もまばらだった。

◇というのも、ファッション関係のテナントがメーンのなか、上層階までエレベーターで上がっていくのはきわめて客層が限られる、まずはそれが大きい。◇だから認知度も低く、ふらっと入ってくる大多数の客を取り込めない。

◇しかしIFSAにとってはもうひとつの欠点が存在した。◇ジュンク堂らしく専門書を取りそろえようとの意欲が勝ちすぎたためであろう、棚と棚の間隔が狭すぎて上の方の本は急角度で見上げないと探せない。首が痛い。この窮屈ぶりは、本好きの人間を遠ざけるに十分であった。◇だからIFSAは仕方なく、ジュンク堂・池袋店へと回帰する。

◇さてそれからどれほどたったころだろう、ロフトの撤退に伴い、新宿店は無謀にも?ワンフロアを増床、結果的に3フロア体制と相成り、空間的ゆとりもさらなる本の充実も一気に達成された。◇こうなれば鬼に金棒、その後の<内容的>健闘ぶりはすさまじいものがある。

◇いずれ撤退と見ていたこの店が、逆張りに出ようとは。◇なるほど、気のせいかお客も多少は増え、その筋では人口に膾炙(かいしゃ)し始めたものの、IFSAの観測ではこれくらいで採算がとれるとは思えない。◇それについては後ほど詳しく述べよう。

◇一方、関西からの新参者・ジュンク堂に乗り込まれた老舗・紀伊國屋はどうか。◇IFSAはまだ現在の建物になる前の、昭和20年代の店舗をよく知っている。月に1度ほど、神田川に架かる淀橋近くの新宿区柏木から父親に連れられて出かけていた。

◇店は大通りから少し入った突き当たりにあり、木造2階建て?大通りからの入り口角には模型屋があったと記憶する。◇あの独特の包装紙とともに、大型書店ってこういうものかという<原体験>がいまもよみがえる。

◇その紀伊国屋が現在の社屋になったのはたしか60年代なかばで、前川國男設計のそれは何とも新鮮だった。そして地下の<商店街>にはおもしろい店舗や食べ物屋が。◇しかし、紀伊國屋には、老舗中の老舗・丸善ともども、本が揃っているという印象はなぜか薄い。と同時に、当時の店はけっして愛想のいい空間ではなかった。

◇それがどうだろう、ジュンク堂のおかげなのか、昨今の紀伊國屋、感じのいいこと。お役所が民間になったほどの違いがある。◇しかし、品ぞろえではジュンク堂にはかなわない。◇ただ、そぞろ歩きのお客さんが立ち寄るだけに、客数では完全にまさっている。

◇ついでに述べるなら、新宿駅新南口からつながるタカシマヤタイムズスクエア内の紀伊國屋新宿南店はひどい。◇まずは立地が最悪。新宿を名乗りながらの<渋谷区>はまあいいとして、新宿駅からは遠すぎ、代々木駅のマイナー口からはたそがれすぎている。◇おまけに、本店以上に本が少ない。

◇これだけ条件がそろえば客も少ない。企業としては多分お荷物的存在だろう。

◇さてジュンク堂へ戻る。ここに在庫がなければあきらめがつくというほどそのマニアックぶりは完ぺきに近く、満足度は上位ながら、気になることが2点ある。

第1は、ジュンク堂に共通の、ご丁寧にも通路へいすを置き、どうぞじっくりご覧になってお決めください式<良心的>スタイル。◇IFSAとしては、あの悪習だけは即刻やめてもらいたいと願っている。

◇まずは、あんな風にじっくり読まれた本を次の客に買わせるという神経が分からない。◇いすの人たちは、買うかどうかを決めるためというより、本に見入っている?人間が大半なのだ。◇決めるためなら、いすなど必要はなかろう、脇に荷物置きさえあれば。自身の経験からして。

◇加えてひどいのになると、その本からばっちり書き写す手合いまで。特に学生の多い池袋店ではこれが散見される。◇もうひとつIFSAの偏見を述べれば、あのいすに座って本を読んでいる人々の、どこか気色悪いナルシシズム。カンベンカンベンだ。

◇そして気になる第2点は、表題にもつけたジュンク堂の採算性に関して。◇IFSA通信では丸善の採算性をアップしたことがあるからお読みになった方もおられようが、新宿店を見るかぎり、いくら会社宣伝のためとはいえかなりの赤字ではないかと推測される。◇新宿のど真ん中の貸しビルで、あの面積とあの客数ではネ。

◇そんなこと大きなお世話と言われそうと思っていたら、こんな記事に出会った。◇やっぱりね!

★★大日本印刷、ジュンク堂書店を連結子会社に
asahi.com・09.03.19

◇「大日本印刷は18日、ジュンク堂書店(神戸市、工藤恭孝社長)の株式の51%を買い取り、連結子会社にしたと発表した。同社はこれまでに丸善や図書館流通センターを買収しており、書店事業を強化する狙い」。

◇「ジュンク堂にとっては資本増強とともに、大日本の持つウェブサービスを生かしてネット通販などが強化できるメリットがある」とかいっても、ジュンク堂がネットでアマゾンや楽天に太刀打ちできるとも思えない。

◇となれば「資本増強」、言い換えれば<大日本による支援>!とIFSAは解釈する。◇朝日新聞の記事をそんな風に読み替えていたら、1週間もしないうちにまたまた注目すべき記事が登場した。

★★丸善ジュンク堂書店、業務提携へ協議
経営統合も視野に
NIKKEI NET・09.03.25

◇「大日本印刷子会社の書店チェーン、丸善とジュンク堂書店(神戸市)は24日、経営統合も視野に業務提携の協議を始めることで合意したと発表した」。

理由は「店舗運営ノウハウの共有化や人材交流を進め、経営を効率化する」。◇結果は「(前略)年間売上高は単純合算で1300億円を超え、書店チェーン最大手の紀伊国屋書店の約1200億円を上回る」。

◇書店の大型化を競ってみても、薄利多売の<多売>に赤信号がともれば前途は明らかといえよう。◇台所の苦しさが透けて見えるようではないか。

◇先日鹿児島市へ行ったら、盛り場の天文館近くにしょぼいジュンク堂があってびっくり。◇IFSAはとっさに、かつて存在した上大岡(横浜市)の三越を思い出した。

◇三越や西武をはじめとする大百貨店がところかわずの感じで地方へ進出しながら、いよいよとなって一斉に撤退を始める。◇大型書店の拡張ブームも、この流れが二重写しとなる。

★★[IFSA・阿部社会学ラボ]★★阿部道生★

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2009年2月12日 (木)

IFSAのおすすめ=東京の本屋散策ならジュンク堂・新宿店。だが心配は採算性(上)

◇IFSAはもう50年ほど東京の大型書店を見てきた。◇昭和30年代、生意気な中学生時代はよく神保町へ行った。◇三省堂もまだ先代の建物で、ラドリオやミロンガといった太宰治・織田作之助風路地から入っていく裏口には趣があった。◇三省堂テーラーや眼鏡屋もその辺に位置していたか。

東京堂は巨大な木造建築で、入ってすぐ右にある階段を上れば、すばらしい曲面ガラスを備える4階建ての冨山房旧杏花楼の寿ビルがのぞめ、建物オタクのIFSAはいつもワクワクしたものだった。◇特に後者はどこか租界風で、そのミステリアスな雰囲気には魅せられた。◇東京堂の2階には当時まだ珍しいクーラー水飲み器?があり、よく利用させてもらった。何とおいしいものかと。

◇かわって、よく通る池袋東口の都電終点前には新栄堂が。しかし、いいのは恩地孝四郎の装幀(そうてい)だけで、2006年閉店するまで中身はさっぱりだった。◇それを補って余りあったのが西口にさっそうと登場した芳林堂。◇はじめは1本ウラのキンカ堂?となりにあったと記憶するが、間もなく表通りに進出し、その充実ぶりたるや都内でも<傑出>といえた。

◇だいいち、女性主体の店員がすごかった。◇各フロアごとに専門特化し、何を聞いても分からないことはまずない。◇その後、最上階には古書店や喫茶店ができたりしてその楽しいことといったらなかったが、ある時期をピークに下降線をたどり始める。

◇東武百貨店には旭屋が、西武にはリブロができ、徐々にまずくはなったとしても、やはり決定打は東口進出の黒船(=ジュンク堂書店)じゃなかったかと想像する。◇結果、芳林堂も新栄堂も、発祥の地での閉店を余儀なくされたのだった。

◇一方、セゾン文化華やかなりしころのリブロは、芳林堂とはまた違ったイミでエキサイティングだった。◇本を熟知する店員が運営していた。だが一方で、本の並べ方などはインテリ好みすぎ、相当にクサかった。

◇とはいえ、同一平面上には私の友人がマネージする稀有(けう)の美術書店・アールヴィヴァンもあり、西武池袋店地下のワンダーランドぶりはそれこそ一頭地を抜いていた。

◇しかし堤清二のセゾンが大コケするとともにリブロも壊滅的打撃を受け、その後に経営母体がシフト。さらにはジュンク堂ショックもあって密度的にはガッタガタになった(=以上は外部からする主観)。

◇加えてその後のご都合主義的フロア配置(=何は地下、何は飛んで3階といった具合)ときては、好んで行く気にならない。◇でも場所柄、売れてはいるらしい。

◇さてそのジュンク堂池袋本店。この店ができるまで、IFSAは<関西にジュンク堂あり>すら知らなかった。京都なら駸々堂書店といったくらいの認識しかなかった。◇だが池袋のジュンク堂に行ってみて驚いた。その圧倒的な品ぞろえ(+)全フロアとも1階での精算(+)気取らないから居心地のいい喫茶店・・・・・・・に。

◇駅から多少離れてはいても、ここに行けばまず本がある、ここになければあきらめもつく。◇この合理性・効率性こそが、その後ずっとジュンク堂へと足を運ばせた要因に相違ない。◇伝統ある東京の大型書店群が控えていながら。

◇だが、中途半端だったジュンク堂新宿店(旧新宿三越の新宿三越アルコット内)が増床を果たすと、家からは遠いはずの新宿店のファンに。◇以後一度も池袋店へは行っていない。◇そんな新宿店の魅力については次回の(下)にて。-つづく-

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2008年12月23日 (火)

IFSA注目のベタ記事=<石原伸晃総裁こそ自民党相応のレベル>ほか(08.12.14現在)

★★揺らぎ始めた「3分の2」
政権に見切り、分派活動
asahi.com・2008.12.09

◇「朝日22%、読売21%、毎日21%--。全国紙が8日、麻生内閣の支持率急落を一斉に報じ、麻生首相のままでは与党が総選挙を戦えないことが鮮明になってきた」。◇「自民党の下野が現実味を増すなか、政界再編に活路を見いだそうとする動きも出てきた」。

◇「首相批判の急先鋒(きゅうせんぽう)である渡辺喜美元行革担当相」はテレビ露出でもよく知られる存在だが、その「渡辺氏は塩崎恭久元官房長官らとともに衆参の中堅・若手24人」の中心メンバー。◇しかし実態は口ほどもなく、塩崎ともども迫力に欠けることおびただしい。

◇かつてのような党人政治家とはちがい、彼らはみな2世議員の甘ちゃんぶりをおしげもなくさらしまくる。◇老練かつ老獪(ろうかい)、胆力ある自民党旧型政治家からすると、おとといやってろ程度のパフォーマンスにしか見えないことだろう。

◇にもかかわらず、言うことだけはご立派とくるから、みっともなさが一層際立つ。◇「24人の会の一人は言う。衆院議員17人が造反すれば再可決に必要な『3分の2』を割り、麻生政権はたちまち立ち往生してしまうのだ」だってサ。

◇24人が48人にまで伸長したとのウワサもある。どうぞどうぞ、がんばってやってください。◇バナナのたたき売り的口上に近いけれど。

◇かと思えば、そんな渡辺などより能力・度胸とも数段劣る<ちゃま>こと石原伸晃幹事長代理が何を勘違いしたか「『自民党国会議員の7割から8割が、麻生政権で選挙をやって与党にいられるのかと疑問を持っている。私たちは、がけっぷちにある』」と発言し、言っていること自体は正しくとも笑いものとなった。

◇ああどうせ間をおかず、いつものように言を左右しては弁明にこれとつめることだろう・・・・・・・。◇議員のほぼ全員がそれを分かっているから、誰も信じはしないし相手にもしない。◇しかもこのひ弱で無能な<おぼっちゃま>、現職は幹事長代理というからわきまえていない。

◇そしてこの<ちゃま>、「前日、所属する山崎派幹部に『24人の会に参加したいが、どうすればいいか』と相談し、引き留められていたという」。◇この「どうしたらいいか」は傑作で、これほど石原の実態を如実に物語るコトバもそうはあるまい。

行革担当相・国交相といった大臣の座にあった際、日和見と指導力のなさから評判を落とすだけ落としたとはいえ、その後、親の七光りか自民党の政調会長までスピード出世した人間が、いまだ「パパ・ママ、どうしたらいいの?」っていうんだから、<政策新人類>が聞いてあきれる。

◇にもかかわずマスコミはことあるごとに、彼こそ世間では「将来の首相候補」に擬せられていると持ち上げ、本人も取り巻き連中もその気になる。◇自民党の<人材>がここまで払底し、ハイパー軽量級になると、IFSAとしては批判どころかあっけにとられる以外になく、リキは入らない。

◇ところで、石原の「がけっぷち」発言はその後ぴたりと沙汰(さた)止みに。◇どうせウラで大幹部からしこたま怒られ、シュンとしたのだろう。

東の横綱・石原伸晃西の横綱・山本一太このオポチュニズムの権化のような<2ばか大将>が現在の自民党を象徴するとIFSAは考える。◇いくら何でもそんな、特に山本?たとえそう言いたい人がいたとしても、これこそが自民貧困の厳然たる鑑(かがみ)なのである。◇だ・か・ら、自民党ばかりが日本社会全体が劣化しまくっているといえるのだ。

★★麻生首相は「3年後に消費税アップ」
細田自民幹事長は「3年で景気回復は不可」
08.12.17のテレビニュースから

◇公明党とスジ論の板挟みになっている彼らは、こうしたダブルスタンダードで内閣支持率20%を切り抜けようともくろむ。何ともカラダが強い。

◇片や首相は、断行する気もないものを勇気アリのごとくに打ち出してみせ、他方の幹事長は、景気回復など3年で成就するわけはないから公明党さん大丈夫ですよ、まずは首相に言わせるだけ言わせてあげてください、と懇願する。

◇これなら石原伸晃総理総裁でも十分につとまるといえよう。

★★新交付金:所管再び国交省
・・・8割、道路整備に決まり
毎日jp.・08.12,12

◇「政府・与党は11日、09年度からの道路特定財源の一般財源化に際して創設する1兆円規模の『地域活力基盤創造交付金』(仮称)について、国土交通省の所管とする方針を固めた」。◇「(前略)新交付金の8割を道路整備にあてることが決まったため、国交省を通じて地方に配分する形に落ち着きそうだ」という。

◇だか~らいったじゃないの~、「道路特定財源の一般財源化」なんて絶対にダメだと。道路特定財源自体を廃止しべきだと。◇「道路特定財源の一般財源化」なる詐術をいまだ善政のごとくに評しているテレビメディアが信じられない。まったく。

◇目的税を違う目的に使いだす。だったらその目的税は使命を終えたのだからいったん廃止。◇それが世の常識というものだろう。

★★「犬野郎」 イラク人記者、電撃訪問の
ブッシュ米大統領に靴投げ付ける
MSN産経ニュース・08.12.15(A)
★★「かわすのは得意」と米大統領
記者会見で靴投げられる
TOKYO Web・08.12.15(B)


◇「大統領は姿勢を低くして2度とも靴を避け、『事実を申し上げれば、あの靴は10号サイズだった』と冗談を口にして混乱を収めた」(A)。◇ブッシュ大統領は「(前略)『かわすことは得意なんだ。お気付きかと思うが、君たちの質問もね』と同行記者団に冗談を飛ばした」(B)。

◇身のこなしのやわらかさだけでなく、このジョークはなかなかのもの。◇どこかの首相のような、慣れない地方紙記者へ向かってマジ顔で「あなたとは違うんです!」に比べれば、あのデタラメ・ブッシュといえども貫禄(かんろく)において雲の上の存在と映る。

◇それにしてもシークレットサービスのちんたらしていること(=左右ともの靴を平気で2連投されていた)&隣のマリキ・イラク首相が微苦笑?しながら隣で平然と見ていたこと。◇ビートたけしのアタマに洗面器が落ちてきたような悠長さとおかしみをIFSAは感じてしまったのだが。(敬称略)

★★[IFSA・阿部社会学ラボ]★★阿部道生★

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2008年12月15日 (月)

IFSAのおすすめ=浜松市郊外の秋野不矩美術館。遠いけれど訪ねる価値は大いにアリ

1週間のブランクとなってしまいました何事も新年(もしくは新年度)から模様替えというのが世の中の常でしょうが、IFSAは本日からマイナーチェンジといっても、それほど大げさなものではありませんその趣旨は、(1)読んでいただきやすいよう、本文を従来よりは短く(2)できれば(=願望)その分、回数を増やす(3)中身が即分かるよう、タイトルにキーワードを挿入

前回から【かなり気になる、先週の<ベタ扱い>的重要記事】【IFSA注目のシブイ記事=○○○】に変えたのもそのためですというわけで、本日が初回となる<IFSAのおすすめ>シリーズほか、<IFSAのイマイチ><IFSAのブーイング>などもコラム調で執筆していきますどうぞご期待ください

◇晩秋に静岡県藤枝市の志太温泉・潮生館へ出かけた。◇藤枝に温泉が?私もそう思ったが、妻が探してくれたこの旅館、風情と内容たるやなかなかのもの。◇ここについてはあらためて<IFSAのおすすめ>で取り上げたいと思う。

◇建物フェチのIFSAとしては、旅館の建物が「登録有形文化財」というだけでもひかれるけれど、食事もお風呂も変に気取っておらず、われわれ夫婦にはフィットするものだった。◇志太温泉とはいっても旅館はたったの2軒という市内の温泉。◇それも、国道1号バイパスの谷稲葉ICJR藤枝駅からそう遠くはないところに位置し、ひなびた場所などではない。

◇それはさておき今回の1泊旅行、翌日はどこへドライブしようかと大いに迷った。というのも、この周辺はほとんど走りつくしているからだ。◇旅館でふたりして静岡県地図を見つめるうち妻の見つけた地点が、浜松市郊外にある秋野不矩(ふく)美術館。少々遠くても絶対に行きたいと妻は言う。

◇というのも、2008.8~10に神奈川県立近代美術館・葉山で開催された<生誕100年記念 秋野不矩展>を見に行き、秋野のとりこになったらしいからだ。◇たしか新聞の展覧会案内かなにかで代表的な絵を目にし、これはと思って私が誘ったものと記憶する。◇そうはいえ、ふたりともそれまで秋野の名すら知らなかったというのが実情で、恥ずかしいかぎり。

◇社会科学のことならまだしも、絵画はイロハのイさえ語れないIFSAとしては、無粋な略年譜をもって彼女のことを伝えるしか能がない。

◇*1908・静岡県磐田郡二俣町生まれ。*1926・静岡県女子師範学校2部(現・静岡大)卒業。*同・磐田郡の尋常高等小学校教師。◇*1929・京都に出て日本画を学ぶ。*1930・帝展初入選。◇*1962・インド初滞在(1年間)=54歳。*現・タゴール国際大学客員教授。*以後91歳まで何度も海外(インド・ネパール・アフガニスタンほか)へ。

◇*1966・京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)教授=58歳。*1991年・文化功労者。*1999・文化勲章。◇*2001・没。93歳。(以上、同展カタログより)

◇ところで、前日の夜にやっと決めた秋野美術館行が思わぬ効果をもたらしてくれることに。◇というのも、われわれの最近の旅行は年相応といおうか、あそこもここもはなくなり、どこか目標地点を1カ所決め、あとはそこへと至る地域の<生活的ルート>を心から楽しむという具合に変化した。

◇すると、日本の原風景のようなものが向こうからするっと飛び込んできてくれる。◇それをありがたくちょうだいする・・・・・・・といったスタイルになってきた。◇一度この味を覚えるとたまらない。またすぐに出かけてみたくなる。

◇今回もこの秋野美術館というターゲットが定まったおかげで、藤枝市から浜松市天竜区二俣町までの道中(=大半が農村地帯)を存分に楽しむことができた。◇そうでもなければ、まず旧・天竜市を訪れる機会などめったにあるものではない。

◇そしてこの気まぐれドライブ最大の副産物が、たまたまの通過点となった静岡県森町。◇「るるぶ」に掲載されていた森町のそば屋さんをまずカーナビでセットすると、天竜浜名湖鉄道・遠江一宮駅の広場(といっても、新旧の公衆トイレがあるだけ)に連れて行かれた。

◇きょろきょろすれば、何と駅舎の中に目当ての「百々屋」が。◇昼食をとり、無人のホームに入っては撮影もし。実にのどかで心が和む。

◇さてせっかくだから食後にどこかの寺社へと思っていると、小國(おくに)神社がすごいとの情報を得る。◇早速ナビにインプットして神社に近づくや、観光バスが何台もいる、大勢の人が鳥居の前で写真を撮っているで、予想もしない相当の神社であることを知らされた。◇聞けば、遠江の一宮とか。

◇建物はもとより、境内の右奥に広がる古代の森がこれまたすごい。しかも季節がドンピシャだったため、その紅葉の見事なこと。◇小さな川に沿って真っ赤に染まった森の中を歩くと、過疎地?が一転、まるで繁華街のようなにぎわいで、ああ、これを目当てに来ている人も多いのだろうなと納得した。◇遠州の奥入瀬といっても過言ではない。

◇そしていよいよ本日のメーンイベントである浜松市天竜区の市立秋野不矩美術館へ。◇浜松市は07年に政令指定都市となったが、ここ天竜市までをも吸収して天竜区へ。

◇われわれのイメージする<区>に照らせばずっこけるほかはないローカルぶりで、無理筋の<上げ底政令都市>がすけて見えるようだ。◇天竜市のほうがよほどいいのにと、余計なお世話で考えてしまう。◇いったい何なのだ、平成の大合併って。

◇目指す美術館は丘の上にあった。一瞥(いちべつ)するだけで建物自体の魅力に引き寄せられてしまう。◇IFSAは美術館・博物館へ行くたびに、まずは設計者名を聞くことにしているが、パンフレットにも未記入のところが多いばかりか、建物にとんと関心を払わない館があったりして拍子抜けすることもしばしば。

◇ところがこの美術館はきっちり記載していた。◇えぇっ?何とあの藤森照信ではないか。建築史評論とエッセー、それにすぐれた書評子としてIFSAの大好きな。

◇建築史家の藤森は建築卒業でありながら50歳近くまで設計はしていなかったはずだが、その後、盟友の赤瀬川原平邸や自宅(タンポポハウス)などの作品で、建築家としても一躍有名になった。◇そしてこの美術館は98年の作。以後、精力的に作品を発表していく。

◇絵に素養のない私は、これ幸いともっぱらこの建物を楽しむこととなってしまった。◇もちろん、秋野の作品群にもあらためて圧倒されたけれど。◇絵画と建築。この両方を見るに、旧・天竜市というロケーションはけっして遠くないと思われる。(敬称略)

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2008年10月19日 (日)

IFSA「シリーズ・散歩の凡人=久々の信州旅行(3)→蓼科・白樺湖・霧ヶ峰・和田宿」

「シリーズ・散歩の凡人=久々の信州旅行(2)→おぼろげな記憶の蓼科高原へ」をアップしてから1カ月半がたってしまいました福田おじいちゃま(兼)お坊ちゃまによる<世間知らず・わがまま・客観自慢流政権放り投げ>(2008.09.01)&ミエミエ総裁選の余波を受けたものです今回よりようやく<正常>に戻りますなお本散歩シリーズは各篇独立していますので、連載途中からでもお読みいただけます

◇蓼科における、本当に久しぶりのペンション宿泊。ぜいたくは言えないが、われわれ団塊世代にはやはり不満足な部分が多かった。グレードの問題ではなく、コンセプトの関係において。◇さて、今日は蓼科周辺をさらっと見学した後、懐かしの白樺湖・車山高原・霧ヶ峰経由、宿泊地の湯田中渋温泉まで走らねばならない。◇ということとで、まずはすぐ近くのピラタス蓼科ロープウェイ乗り場へ。

◇蔵王の例があるから、どうせガラガラだろうと高をくくっていたら、どうしてどうして。駐車場は8割方埋まり、観光バスもかなり来ている。◇ここ山麓駅でも1771m、山頂駅は2237mというすごさで、そこからは「坪庭」と称される溶岩台地を30分強歩くようになっているらしい。

◇心臓に持病のある私は山麓駅のレストランにて紅茶付きの読書を決め込み、妻だけがアタックする。◇だらしのない私に比べ、元気いっぱいの奥さんはス~イスイ。最近は山登りも始めたから、この程度は目じゃなかろう。

◇この坪庭は北橫岳(2480m)の一画をなすらしく、総称して北八ヶ岳といわれるここらあたりからは、八ヶ岳(=天狗岳・硫黄岳・横岳・赤岳・阿弥陀岳・権現岳・編笠岳・西岳)にとどまらず、南アルプス・中央アルプス・北アルプスまでがのぞめるという。◇またそこには高山植物が咲き乱れる。人が集まって当然なのかもしれない。

◇次は、かつて何度も通過していながらなぜか記憶の薄い蓼科湖へ。◇現物を見るや、何じゃこれはという小ささ。それでもやはり来たことを思い出せないが、「農業用温水ため池」の人造湖にしては周囲の白樺ともよくマッチし、なかなかgood!。◇われわれの若いころには、たしかにこの程度でも心に響いたと思われるが、海外に精通した現在の若者には見向きもされないことだろう。◇その影響か、周囲もかなりさびれている。

◇ふと見ると、湖畔に「マリー・ローランサン美術館」が。おお、この美術館ならよく覚えているぞ。◇そうか、蓼科湖ってこの隣だったのかと、逆立ちする連想にわれながら不思議な気持ちとなった。◇それにしても「マリー・ローランサン」。こそばゆいような気恥ずかしいようなデジャ・ビュの一種であります。われわれ青春時代の。

◇もちろん、ローランサンに入れあげたことは一度だってないものの、だからといってわが世代、「そんなの関係ネエ」とまでは言い切れない。◇思い返せば、敗戦から高度成長に至る<昭和>の前向きな良き時代。福永武彦的ロマンチシズムとリリシズムが演歌っぽさとないまぜになりつつ、若者の世界に漂っていたのかもしれぬ。

◇ところで、開館25年というローランサン美術館。外観からするかぎり心なしか寂れているように見受けられた。◇はたして、今の時代から浮き上がっていないのかどうか。

◇そんなことを思いながら、話だけでまだ一度も行ったことのない「東急リゾートタウン蓼科」の見学へと出かけた。◇行ってみてびっくり。広大な敷地というかエリアには、ゴルフ場・スキー場・3種類のホテルをはじめ、何でもそろっている。◇とはいっても、西武プリンスのそれのように派手さもバブルっぽさもなく、そこそこ渋めで抑え気味。ここ蓼科も、東急に共通するそんな特徴に彩られていた。◇季節を見計らって一度泊まりにくるとしよう。

◇東急Rのあとは、昔何度も訪れたことのある白樺湖=霧ヶ峰再訪へ。いまはどうなったか、何となく楽しみである。◇大門街道(R152)をまっすぐ北上すれば近道だが、東に大きくふくらみつつ北へと向かうビーナスラインをあえて選択してみる。◇しかし白樺湖へはすんなり着いてしまって拍子抜けだった。◇この湖は上から見るに限るとぐんぐん上っていけば、20年ほど前、よくクルマをとめては写真を撮った絶景スポットの駐車場に到着。

◇しかし、イマイチ景色がさえない。感動がない。◇もしかして、植生が変わってしまったのか、それともこちらの感性がシフトしたのか。◇加えて、先ほどからの違和感にもはたと気づいた。ビーナスラインって、たしか有料道路のはずではなかったかと。◇帰京後、ウィキペディアで確認すると、通称ビーナスライン(=蓼科有料道路+霧ヶ峰有料道路)は長野県によって「順次無料開放」され、02年には「全線無料開放」された、とあった。

◇気のせいかもしれないが、あのきりっとした晴れやかな道が単なるローカルロードに、の感は否めない。◇またなぜか、有料時代に反比例し、クルマも人もまばらとくる。◇われわれの青春時代には日本有数の観光地であったピカピカの場所が、いまやけっこうショボイ峠道に成り下がってしまったと嘆きたくもなる。◇相手がというより、こちらが勝手に変わってしまったのが主因にせよ、やはり喪失感は免れなかった。

◇そんな調子だから、坂を上れば上るほどますます魅力を増すはずの車山高原・霧ヶ峰(=三菱電機のエアコンブランドにも使われた!)・八島ケ原湿原までもが、それほど目を引くことなく、われわれをスルーさせてしまった。◇ところでこのビーナスライン、どこまでも北上すれば、最後はフジサンケイグループの?美ヶ原高原へ行き着く。◇しかしわれわれは、和田峠にてこの道とわかれ、今度は北東方向へかじを切った。

和田峠でビーナスラインと直交するR142とは、何と旧中山道のこと。板橋のわが家近くを走る街道(R17)の延長だ。◇とはいえ、国道とは名ばかりの狭い道を走らされ、もういいかげんうんざりし始めたころ、ようやく幹線らしき道(=有料トンネルのあるR142バイパス)へ合流。◇それからしばらくすると、中山道和田宿の案内板が突如あらわれた。

◇こんな山中に宿場町など想像もしていなかったらびっくりするも、即座に歴史地理好きの心が作動し始め、どんなところかと探索に行く。◇そこにあったのは、まったく観光的ではないほんわかムードの生活的旧和田宿で、私などはかえってうれしくなった。

◇ところで、東海道はアタマに浮かべやすいものの、中山道となると板橋・軽井沢・追分・奈良井・妻籠・馬籠・中津川等々、断片的にしか思い当たらないのが普通だろう。◇IFSAもその例にもれず、だいたい中山道の宿場数さえ言い当てることができない。◇しかし東海道が整備される以前は、江戸や東北へはもっぱら中山道が主流。あなどれない存在だった。

◇であれば、中山道をもっと調べなくてはと以前から思ってはいた。◇いい機会だ、和田宿に出会えたのを契機に自分のものにしてみよう。◇飛躍するようだが、そんな思いが通じたのか、先日、早稲田穴八幡脇の古書店にてばっちりの古本に出会った。◇世の中ではおそらく格下に扱われるような教養本のたぐいだが、どうしてどうして、こういう本こそが即戦力になるのだ。

『日本の街道 全8巻』(集英社)がそれで、刊行は昭和56年。◇かつてよくあった、写真を主体に学者が解説を付すスタイルとなっている。◇想像するに、いつか読もうと毎月の<本屋宅配>で買っていた人が、結局は書棚ウォーマーへと。どこの家にもあるそんな感じのものである。

◇当時ですら1冊1800円というのに、今回はバラの美本で各100円。◇しかし残念ながら、『風かけるみちのく』と『海光る瀬戸内・四国』の2巻が欠本。◇今後古本屋を歩くたび、ぞっき本コーナーからこれらを探す楽しみが増えた。◇紙質の関係上とにかく重いので、クルマに積み大事そうに持ち帰ってきた。しめて600円也。

◇その第4巻『山なみ遙か歴史の道-信濃路・木曾路・伊那路・美濃路・飛彈路』の中心を中山道が占める。◇「中山道六十七次」の詳細地図の中に、先の和田宿も28番目としてあった(なお、東海道の草津で合流するため、そこまでの67宿を中山道としてカウントするらしい)。◇ところで、「中山道は古くは、東山道(とうざんどう)とよばれる古代令制の官道の一つであった。東山道は、正しくは『あずまのやまみち』と読むべきであろう」と、同書に林英夫(立教大学教授-当時)が書いている。

◇そう、「東山道」は、この「シリーズ・散歩の凡人」でも触れた栃木県那須町の伊王野や芦野を通っているそれでもあり、古代、京より中部・関東・東北への幹線道路であった。◇そしてその時代の東山道は、三浦半島から東京湾を渡って房総半島に至る東海道などよりずっと格上の道といえた(註)

(註)=東山道は、上記引用文では<とうざんどう>、そして一般には<とうさんどう>といわれる。しかし正しくは<とうせんどう>とよむという説もある。

◇話はとんでもない方向へスライスしてしまったが、現在位置はまだ和田峠を越えたばかり。◇本日の宿となる湯田中渋温泉郷までは、これから相当のはしりを覚悟しなければならない。-つづく-(敬称略)

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2008年9月 4日 (木)

IFSA・週なか掲載=かなり気になる、先週の <ベタ扱い>的重要記事(08.08.31現在)

福田康夫による内閣投げ出し劇(=1年前の安部晋三に次ぐ第二弾)が起きたのは2008.09.01。◇IFSAも、そのタイミングだけはまったくの意想外だったが、<福田フッフッフッ・おじいちゃん・お坊ちゃま>の行動形態は驚きでも何でもなかった。◇あの安部電撃逃走の際には執拗に書きまくったIFSAも、今回は醒めきっている。しょせんは二番煎じなのだから。◇内閣改造直後というところまで同一パターンときては。

◇まあそうはいっても、来週のこのシリーズで少々触れるとしよう。

◇それはともかく、今月の自民党総裁選。芝居がかったまでに多くの候補者を立て、軽薄テレビによる追っかけ熱気で一気に解散・勝利といったミエミエ茶番劇の筋書きには笑ってしまう。◇コイズミ郵政選挙でお里が知れてしまった国民は、いまだ自民からなめられ続け・・・・・・・というワケだが、今回もクサイ芝居がそんなにうまくいくかどうか。

◇何せ主演は、あの希代の名優・コイズミではないのだから。◇麻生による「アキハバラのオタクの皆さん」程度のパフォーマンスでは、とてもとても。

◇しかも、新総裁で年内解散というマスコミの一致した見方ははたして正鵠(せいこく)を射ているのかどうか。◇いくら公明党にあおられてとはいえ、何とか2/3を死守するために時間稼ぎをといった、先送りの選択肢はないものか。

◇ここで候補予定者へひとこと。◇まず、あの品なき麻生太郎が大人気だって?安部晋三とタッグを組む超保守主義者(兼)庶民蔑視主義者に、国民がマゾヒスティックな支持を与えるのかどうか、見ものだ。◇体が小さいのを何とか大きく見せようと、肩を左右に振って歩く。あの心性もさもしい。自然にしていりゃいいのにネ。

◇そして、全方位的勘違い女の小池百合子。テレビによく出て、態度がでかけりゃそれだけで人気者ってこと。◇日刊ゲンダイ(08.09.03発行)の言うように、それならいっそ、<ウソだろ!?小泉元首相対抗馬におバカタレント「羞恥心」上地雄輔浮上>のほうが、すっきりはっきりしていてgood!ではないか。話題性と知名度だけなら。◇もしくは、エド・はるみでも。

◇要は、小池百合子(=自称・マダム・スシ)の出馬のイミってその程度のことでしかない。◇いくらコイズミがご執心とはいえ、自民党のレベルがあからさまに明示され、恥ずかしすぎやしないか。まさに<羞恥心>!

◇さらには、IFSAがずっと以前からからかい続けてきた石原伸晃お坊ちゃままで出たがっているというから、開いた口がふさがらない。◇だって、大臣職すらロクにつとめることができず、ふたこと目にはコイズミを引き合いに出しては、「総理が、総理が、こうおっしゃっている・・・・・・・」を連呼していたのだから。◇ではこの件はこれくらいにし、本題へ。

★★定額減税、年度内実施へ
経済対策は総額11兆円
asahi.com・08.08.29
★★定額減税、今年度に実施
・・・政府・与党が総合経済対策で合意
YOMIURI ONLINE・08.08.29

◇もう済んだことなどと言わず、まだ現役の首相である福田康夫氏の話題を取り上げておきましょう。◇というのも、この<定額減税不承不承受諾>こそが、電撃ぶん投げの大いなる引き金となっているのだから。◇あの公明党+麻生太郎の連合軍に有無を言わせずのまされた!<総合経済対策>どころか<総合選挙対策>として。◇福田はそれがどうにも我慢ならなかった。

◇この辺がC調男のコイズミとは違い、福田くん、スイスイとはいけない。◇コイズミなんぞは、あれだけ嫌っていた公明党・創価学会を、首相になるや直ちに受け入れ、平気の平左だった。◇公明党を利用してというより、公明党へのおんぶにだっこで自民の議席を何とか維持できたのだから。

★★姫井議員、たった1日で民主党離党やーめた
★★【民主から新党結成(5)】
自民党が切り崩し工作

MSN産経ニュース・08.08.29

ZAKZAKの言う「ぶって姫」こと、民主党の姫井由美子参院議員問題。◇民主党を脱退し、「渡辺秀央元郵政相らの新党『改革クラブ』」の一員として新党立ち上げへ向かうはずが、スタート時の記者会見にあらわれず。◇すべてはチャラ!と菅直人・鳩山由紀夫同席で表明したのだからすごい。◇おかげで「改革クラブ」は4人にしぼみ、政治資金規正法上の政党要件を満たすことはできず。渡辺以下のおじさんは赤っ恥となった。

◇「政界では、今回の新党劇には自民党側の切り崩し工作があった-とささやかれている」。◇「自民党の麻生太郎幹事長は、昨年春ころから渡辺氏との接触を続けてきた」。◇「さらに、二階俊博経済産業相は、党総務会長時代の3月下旬、都内の日本料理店で、同じ和歌山出身の大江氏や、姫井由美子参院議員らと会談するなど『脈がある』と見た参院議員に秋波を送り続けてきた」。

麻生氏は新党結成の動きが表面化した28日、周囲に『1年くらいたってから”あのとき歴史は動いた”となるんじゃないか』と語り、ニヤリと笑った」。◇しかし心配はご無用。「ぶって姫」は翌29日に離党届を撤回、民主党にとどまると言明した。◇「1年くらいたってから”あのとき歴史は動いた”となるんじゃないか」どころか、たった1日で小さな歴史は動いたのだった。◇事態は、麻生の読みの甘さをさらしただけに終わった。

◇なお、「ぶって姫」とか女性ゴルファーのパパとかを恥ずかしげもなく07年参院選候補者として選んだ小沢民主党。◇これまた、テレビ政治への過度なすり寄りという点で救いがたいものがある。

★★BRICsバブル崩壊=編集委員・太田康夫
NIKKEI NET・08.08.25

◇「BRICsバブルが崩壊しようとしている。世界的な信用収縮や軍事的緊張によるカントリーリスクの高まりで、ブラジル、ロシア、インド、中国の株価は大幅に下落している。日本の個人投資家は投資戦略の見直しを迫られそうだ」。

◇以前も指摘したように、今回もまた、デカップリング論はどうしたと言いたい。◇カップリングに対する<de>。ストレートに訳せば、米国とBRICsの景気連関は切り離して考えてもOK、米国がダメでもBRICsがあるから世界経済は大丈夫といった論になる。◇昨年一世を風靡(ふうび)したこの作為的見解の結末、それが以上の記事というわけである。

◇日本では、生活感からくる<常識>に無縁な人間たち、彼らをこそ専門家というらしい。

★★原油高、やはり投機主因か
・・・スイス企業が大取引
ZAKZAK(共同)・08.08.22

◇「スイスの大手商品取引会社が7月、ニューヨーク・マーカンタイル取引所の原油先物市場で一時、市場シェアで10%を超える投機的な取引をしていたことが米商品先物取引委員会(CFTC)の調査で分かった」。◇「米当局はこれまで、この商品取引会社を取引規制が課される『投機筋』ではなく、石油会社や航空会社などと同じ『実需筋』に区分していた」。

◇「米議会は『原油先物市場の投機マネーは、これまで考えていたより大きな影響力がある』(民主党下院議員)とし、規制強化策を盛り込んだ法案の成立を目指す方針だ」。◇これまた、IFSAのような経済素人が一貫して主張してきたところと一致。◇しかし専門家の多くは、新興国の実需が原油価格最大の要因と主張してはばからない。◇その心は、何としても<投機筋>を守らねば!

★★都心のオフィスに「すきま風」
空き室率3%後半に増加
asahi.com・08.08.11

◇「好調な東京都心部のオフィスビル市況に変調の兆しが出ている。空室率は7月まで6カ月連続で上昇し、好不調の目安とされる5%にじりじりと迫ってきた。7月の平均賃料も3年ぶりに低下。業界関係者からは『転換点を迎えた』との声も漏れだした」。

◇「特に新築ビルが不振で、4~5月は10%を超え、7月も前年同月比5.86%幅上昇の9.32%だった」。◇「3.3平方メートル当たりの平均賃料も、(中略)2年11カ月続いた上昇基調がとぎれた」。◇「業界関係者は『外資系金融機関が退去したり、借り入れ面積を小さくしたいという要請が増えた。好調が続いたオフィス需要に変調がみられる』と話す」。

◇これまた、IFSA的生活感からすれば常識中の<常識>。だからずっと以前より、大都会におけるオフィス&マンションバブル(象徴的にはあのタワー○○の)を指摘してきた。◇だれが見たって、都心にあれほどタワーオフィスやタワーマンションがボンボンできて大丈夫なの?と思っていたに違いないのだから。

★★【ドラマ・企業攻防】 セブン&アイが
ディスカウントストアに参入した理由
MSN産経ニュース・08.08.31

◇産経新聞のこの記事は視点が鋭く、読みごたえがあった。◇「流通最大手のセブン&アイ・ホールディングスが、食品を中心に品ぞろえした『ザ・プライス』1号店を東京都内に29日オープンし、ディスカウントストア業態に参入した」という。

◇IFSAが注目したのは2点。◇(1)イトーヨーカ堂がディスカウントストア業態に打って出る。(2)立地は、老朽化したイトヨ西新井店のあと。東京都足立区というところがミソで、絶対に港区ではない。◇そして次の出店は、わが板橋区だろうか。

◇そしてもう1点、以下の記述に目がいった。◇「実は、参考となる成功例もある。ディスカウント型の中堅スーパーを首都圏で展開する『オーケー』だ。総菜など一部を除きPB商品を扱わず、NB商品を地域最安値で販売する。『EDLP(エブリ・デー・ロー・プライス=毎日低価販売)』方式で消費者の支持を受け、成長を続ける」。

◇そうか、週末になると家の近くの環七(環状7号線)と川越街道(R254)のスーパー前でいつもクルマが並び、小渋滞の原因をつくっているあのオーケーストアがそれか。◇そこを通るたび、妻とは一度見学してみるかと話していた店が、イトヨ流ディスカウント店のモデルだったとは。(敬称略)

★★[IFSA・阿部社会学ラボ]★★阿部道生★

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2008年9月 2日 (火)

IFSA「シリーズ・散歩の凡人=久々の信州旅行(2)→おぼろげな記憶の蓼科高原へ」

前回の<IFSA「シリーズ・散歩の凡人=久々の信州旅行(1)→八千穂高原・麦草峠から蓼科へ」>(08.08.26)は、自宅のある東京都板橋区から藤岡IC(群馬県)までが関越自動車道藤岡市からは一般道でR254R141R299を走り、2000m級の麦草峠を通過するところまででしたあと少しで、本日の宿泊地・蓼科になります

◇ウィキペディアでその<麦草峠>を引いてみると、初っぱなにこうある。◇「麦草峠(むぎくさとうげ)は、長野県茅野市と佐久穂町の間にある峠。国道299号の最高地点で、標高は2,127m国道で2番目に標高の高い地点である(最も高い地点は渋峠)」。◇なお、ここでいう渋峠とは、湯田中・志賀高原から草津へ抜けるR292にあり、たまたま今回2泊3日のドライブ最終日に通過した地点でもあった。◇それについては、最終回にて。

R299の麦草ヒュッテあたりが自治体の境界で、東が前回触れた佐久穂町、西が茅野市となる。茅野市に入ったところからは、もう大きな意味での蓼科高原といってもよかろう。◇つづら折りの国道を南西へ下ると、「(左)渋温泉・明治温泉」の看板が突然あらわれた。前々から一度じっくり見ておきたい場所と思っていた関係上、渡りに船と左折する。

◇しかしそれが大変なことに。渋・明治温泉などすぐ先と判断したのが大間違いで、クルマがすれ違えないような未舗装林間道路を延々と走らされ、なかなか明るいところへと出られない。◇道に迷ったかとの不安もよぎるが、またまた渋温泉・明治温泉の小さな手書きプレートがあらわれるし、カーナビを見ても大筋はあたっている。◇戻るスペースもないからとにかく突き進むと、ようやく奥蓼科温泉郷の舗装路に出た。

◇そこを左折してちょっと行けば、左側に超日本的な渋・辰野館があらわれる。ずっと想像していた辰野館ってこういうものか。◇明日泊まる湯田中渋温泉郷にも渋温泉、ここ蓼科にも渋温泉。前々から自分の中でイマイチすっきりしてこなかった部分が、これで晴れた。◇なお、ここから数キロのところには渋の湯温泉があってどんづまりのため、Uターン。次は明治温泉の見学へと向かう。

◇しかし、クルマでのアクセスは難しいといった趣旨のな標識があり、時間がないこともあって断念。一気に今夜の宿を目指す。◇すると左側に、コバルトブルーのきれいな池があらわれ、意外なこともあってびっくり。◇車内から案内板を見れば、御射鹿池(みしゃかいけ)というらしく、人工の農業用ため池とある。東山魁夷の絵の題材にもなったらしい。

◇人工でありながら、まるで自然のような色彩とたたずまい。こういうものもあるんだと妙に感心した。◇その存在自体まったく知らなかった小さな池だが、あらためてゆっくり訪れる価値がありそうだ。

◇さて、今日の宿はピラタスの丘に点在するペンションのうちの1軒である。ペンションって、友人経営のそれを除けば、もう25年近く泊まったことがない。30歳代のころは安曇野のペンションなどによく泊まりにいったけれど。

◇ではなぜ本日に限ってペンション泊かといえば、旅行の立案が急で宿を取りにくかったこと、信州好きの信州知らずでここ蓼科だけがエアポケットだったこと、この<蓼科高原ピラタスの丘ペンション村>は「標高1700m 空に最も近い所にあるペンション村」、それなら一度泊まってみるかとの気にさせてくれたこと・・・・・・等の理由による。◇この高地に25軒以上のペンションが肩を寄せ合い、個性を競っているらしいのだ。

◇たまには若い気になって楽しんでみるかと、少々の冒険を覚悟で予約した。◇たしかにここからの眺めはすばらしい。眼下には広い緑の向こうに茅野市街が、すぐ右手には2500m超火山の蓼科山(八ヶ岳連峰のひとつ)がのぞめるパースペクティブなどそうそうあるものではなかろう。◇これだけでも、ペンションを選んだのは成功といえた。◇しかし、である。

◇やはり還暦を過ぎたおじさんにとおばさんにはつらいところのあったのも正直なところ。◇宿泊料を勘案せずにぜいたくなことを言うなとの非難を承知で述べれば、厳しかったのは以下の点であった。

◇*最大の難点は、トイレが部屋にないこと。やはりこれはこたえる。そして洗面所も。*部屋はベッドが入ればいっぱいで、ベッドに寝っ転がる以外、本を読むスペースもない。◇そして料理は素材から何から超良心的なのに、最後の決め手の味付けがイマイチ素人っぽく、ぴりっとこない(=なお、この点はたまたま泊まったペンションの問題かも知れず、普遍化するのは危険)。

◇あとはきわめて観念的感想なるも、建物から内装からその雰囲気から、やはりどこか<家庭的>で、それが非日常でありたい旅行にそぐわない。◇いや、そのファミリアーな面を求めて訪れるペンションファンが多いのは知っているけれども。◇今回は1700mという稀有(けう)な立地だからあえてペンションにチャレンジしてみたし、それはそれで大いにメリットがあったとはいえ、これからも時々はペンションに泊まってみるかという気にはどうしてもなれなかった。

◇ペンションが悪いのではなく、こちらのニーズと合致しないジャンルを選んだわれわれが悪い。◇その点はどうか誤解なきよう。

◇食後、ダイニングのテーブルを借りて当IFSA通信の原稿を書こうとしたら、IFSAの使っているウィルコムが<圏外>で使い物にならず。携帯のドコモはバッチリ入るのに。◇急きょアタマを切り替え、紅茶を飲みながらの約2時間、1700mでの読書を楽しんだ。(敬称略)-つづく-

★★[IFSA・阿部社会学ラボ]★★阿部道生★

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