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2008年8月13日 (水)

IFSA・週明け掲載「散歩の凡人=栃木県の大田原市・那須塩原市・那須町へ(下)」

本シリーズの(上)並びに(中)は、リンクをクリックのうえご覧ください間があいてしまい、申し訳ありません

◇さて本日の宿泊は、栃木県大田原市にある大田原温泉ホテル龍城苑という温泉旅館。少し前に1度泊まってはいるが、その時はここを目標と定めての選択ではなかった。◇翌日に益子町の友人のところへ行く用事があったため、インターネットで探し回った結果、設備も値段もリーズナブルと判断し、トライアルでというのが正直なところだった。

◇しかし今回は違う。むしろ積極的リピート客として来たというほが正しい。◇大田原温泉といっても温泉街を形成しているわけではなく、逆にひなびた面があるわけでもない。◇それどころか、大田原市街の延長といってもいいロケーションで、まあ、町中によくある温泉付き健康ランドと位置づけられても否定しにくい感じさえ漂う。

◇それなのに、数カ月で2度目というにはワケがある。◇まず部屋側が、那須塩原から流れてくる蛇尾(さび)川に面し、その向こうはに河原を利用した緑の運動場と小高い大田原城跡(城山公園)の森が展開。家は1軒も目に入らないという点が市内してはすばらしい。◇さらに、値段の割に部屋はよく、部屋食の料理も変に格好をつけずgood!。サービスは可もなく不可もなくだが、ベタベタしていないところが心地いい。

◇そして温泉は、ヒノキの露天風呂を含めてバッチグー!。◇CPがとてもいいのだ。◇8月初旬までは、一部の部屋の改装と日帰り客用お風呂(日帰り温泉館・太陽の湯)の増設で工事をしながらの営業と思われるが、そろそろ全面リニューアル開業となるのではなかろうか。

◇そして前述の蛇尾川。川オタクのIFSAとしては、これが気になってならない。◇そのユニークな読み方(=さびかわ)もさることながら、旅館にあったパンフレットによれば、那須塩原に発するこの川は伏流水として那須野が原の大扇状地をず~っと流れ下り、大田原市に入ってはじめて地上へ顔を出すのだという。◇次回にはぜひとも、その出現地点を見学したいと念じているが、この蛇尾川は箒川を経由し、例の北関東の大河・那珂川に合流していくと記されていた。

◇ところで今回の旅行目的は、妻が益子の友だちと那須連山へ山登りをする、私は運転手役として出発&帰着地点まで送り迎えをするという単純なもの。◇だから翌朝、益子からやって来る友人との合流地点まで妻を送りさえすれば、ほぼ丸一日、私はフリーになる。

◇ものを知らないとはこわいこと、那須岳という山があると思ったら大間違いで、茶臼岳(1915m)・朝日岳(1896m)をはじめとする那須五峰を総称して那須連山ということも現地ではじめて教えてもらったが、それはともかく、那須温泉神社先から始まる有料道路に入り、待ち合わせ場所の大丸温泉へとクルマを走らせる。◇そして那須ロープウェイ前まで皆を見送り、そこで私ひとりとなった。

◇さて今日一日どうしよう。いまさら南ケ丘牧場りんどう湖でもあるまいにと、まずは温泉神社まで下って観光協会のオフィスへ。何種類もの地図やパンフレットをもらって検討を始める。◇そこで目にとまったのが、芦野宿伊王野という初物の地名だった。そうだ、那須にとらわれることはない、逆転の発想で一度下山しようとすぐに決めた。◇価値ありかどうかは分からないけれど、ともかくそのネーミングにひかれたのだから仕方がない。

◇まずは伊王野にある道の駅までぐんぐんと下る。そこの売店で求めたのが、<芦野宿と伊王野の里のガイドブック>である『芭蕉と義経のロマンをたずねて』だった。◇「まちづくり実行委員会」の製作で、実に品よくまとまっている。◇それによれば、栃木県那須町は昭和29年に那須村・芦野町・伊王野村が合併してでき、「幹線道路は南北に走り、時代の変遷とともに東から西へと移っているとある。

◇いちばん東側の道は古代の東山道で、南から黒羽・伊王野を経由して白河の関経由東北へと続いていた。◇そのひとつ西には、日光道中から連続する近世の奥州道中(現・国道294号線)が。その登場で、東山道は脇海道へと降格する。関東北部の芦野宿は、この奥州道中上にあった。

◇「明治になるとこの道は、『陸羽街道』となり、新国道の開通まで国道の機能を果たしていた」。◇そして東北本線・東北新幹線を越えた西側には、現在の国道4号が、さらにその西には、最新の東北自動車道が走っている。◇この伊王野・芦野の北には、下野国と陸奥国(=関東と東北)の結節点となる白河関が控えているが、これは言うまでもなく、奥州三関のひとつである。

◇これだけの知識を得ただけでも、心が躍ってきた。そうだ、白河の関が近いならちょっと足をのばしてみるか、ほんの少々東北地方の土を踏むのも悪くはない、それに白河の関跡っていったいどんなところか、興味はますばかりだった。◇ということでさっそく、伊王野から旧東山道を北上する。まさに脇往還→廃道?にふさわしく、走るごとに頼りない道となっていく。◇舗装されているのがせめてもの救いといおうか、すれ違うクルマもまったくない。

◇不安になるくらい走ると、ようやく白河関跡の標識に出会った。そこから県道を右へ入っていく。◇史跡としての<関跡>に何もないのは織り込み済みだから驚きはしないものの、逆にびっくりさせられたのは、変に整備され、いまは放置されたようにも見える「白河関の森公園」なる代物だった。

◇そこにはいろいろなハコモノが存在するが、なんじゃこれは!の世界で、まさに補助金漬け?の公共事業とその無意味ぶりを宣伝しているようではないか。白けるなんてものではない。◇田んぼのまんなかにうらぶれた史跡の石柱。どうしてこれだけで満足できないのだろう、日本社会は。

◇すぐに補助金?誘導の格好の対象としてしかとらえない。ああ、この貧困なる精神。◇この手のハコモノはすべて、開園式当日だけはピカピカで、あとは荒れるにまさせると相場が決まっている。◇ここにある食堂と売店の惨状。見るだけで寂しくなるではないか。

◇気を取り直し、はじめて知った白河名物・白河ラーメンのお店に入る。◇地元の人がかなり来ているからおいしいのだろうと期待するも、完全にイマニ。◇私はよほどでないと「おいしくない」とは言わない主義なのだが、今回ばかりはマイッタ。

◇さて、帰りは1本西にあるR294(奥州道中)を南下して芦野宿へ戻ることとした。◇道は次第に上りはじめ、そのピークの地点がまさに東北と関東との境界線。走りながらさっと見ただけで詳細は不明だが、たしか古い標柱があったような気がする。◇そして芦野の里へ。ゆっくり歩く時間があれば、おそらくは味のある宿場町だろう。

◇今回は迎えの時間が迫ってきたので、那須町立那須歴史探訪館だけに寄った。まず外観がさりげなく、周囲と調和してすばらしいと思ったら、隈研吾の設計と知らされた。◇小規模ながら展示も<道>を中心に据え、私は勉強をさせてもらった。◇ところで、探訪館すぐ近くにある「石の美術館(ストーンプラザ)」も彼の設計という。次回は寄ってみようと思うが、旧・馬頭町(現・那珂川町)にも高根沢町にも隈の作品があるというから、栃木県とは縁があるのだろうか。

◇残念ながら時間であり、朝の大丸温泉までまた戻らなければならない。◇帰りはあえて違う道を選び、東北本線黒田原駅脇を通って那須高原へと上っていく。◇しかし有料道路に入るや、1メートル先も見えない霧に遭遇する。こういうときに有効なのがカーナビで、それに従えば見えないカーブまですべて事前把握ができる。◇これぞ、イノベーション大好き人間が感じる、技術屋さんありがとうのときである。

◇こうして、汗だくクタクタで山から下りてきた6人と、もうだれもいなくなった駐車場で落ち合った。◇東京の人間には無名に近い<非観光地的エリア>を堪能できた一日だった。-了-

★★[IFSA・阿部社会学ラボ]★★阿部道生★

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