IFSA・週末掲載「散歩の凡人=根津神社を起点に、本郷台地の地形を楽しむ」
☆秋の一日、日本風俗史学会分科会の行事として文京区内の街歩きを計画☆本年の企画およびガイドは、この阿部が行うこととなった☆例年はもっとアカデミックな見学会なのだが、学者ではない私がまかされたのだから、徹底して直感的・生活的なものへとシフト☆そのため、博物館のような施設見学をメーンには据えず、もっぱらゆったりしたタウンウォーキングが中心となった☆以下はその概要。少々お付き合いいただきたい☆
◇今回の視点は東京の地形。これが世界にもまれなる江戸・TOKYOの魅力を形成しているとIFSAは考えるからだ。◇高台(洪積台地)、坂、谷と川(沖積平野)の織りなすいくつもの組み合わせ。◇この自然の恵み(=純経済的にいえばロスが多い)というか、豊富な地形的バリエーションが、無意識のうちに人々を惹きつけてきたといえよう。
◇当日の基本的なコースは次のようなものであった。
*東京メトロ根津駅→*赤札堂裏の路地(露地)と「はん亭」→*旧根津遊郭あたりの路地→*根津教会→<オバケ階段>→<権現坂(=S坂)>→*根津神社→<藪下通り>→*文京区立鴎外記念室→<団子坂>→(タクシー)→*東京都水道歴史館→(タクシー)→*文京区立ふるさと歴史館→*坪内逍遥旧居跡→<鐙坂>→*樋口一葉旧居跡→<菊坂>→*カフェ金魚坂(休憩)→*本郷菊富士ホテル跡→*本妙寺跡→*徳田秋声旧宅→*求道会館→*本郷館アパート→<清水橋(陸橋)>→都営地下鉄三田線春日駅解散
◇では、個々に超簡単な主観的解説を加えていこう。◇皆さんもぜひ、都市の散歩にお出かけください。
◇[はん亭]=★いまは鉄板焼屋さんとして再生した木造3階建て(1917年築)。★モノの本によれば、江戸でも有名な「三田の爪革(つまかわ)」、その店舗だという。★爪革って、雨よけや泥よけとして下駄の前につけるもの。現物自体は知っているが、それが爪革?しかも、読みがツマカワ?恥ずかしながら私はまったく知らなかった。★学のないのはやはり寂しい。
◇★この建物の真向かいに中学時代の同級生が住んでいて、当時何度かお邪魔したことがあるが、現・はん亭の建物はなぜかそれほど記憶にない。★ここより谷中方面へ路地を入れば、いまだ何棟かの長屋が残っている。このうちの1軒も同級生の家。玄関を入るとすぐに階段が、という構造だった。★今回参加のメンバーたちからは、平気で路地へ入り込んでいく阿部が信じられないという目で見られた。★ただそう言われても、当ブログのハンドルネームは「路地裏評論家」なのですから。
◇[日本基督教団根津教会]=★1919年竣工の木造下見張り。無造作にみえる水色のペンキが、根津という下町によく調和している。★まわりには、旧根津遊郭の痕跡も。東大・一高の関係上?、1888年深川へと移転させられたとか。★近くにはオバケ階段(幽霊坂)があり、上りと下りで段数がちがうともいわれるが、周辺にマンション建設が始まり、昼なお薄暗き恰好の雰囲気は完全に失われた。★さらには、修学旅行生用?旅館(上海楼)もあったりして。
◇★ところで、幽霊坂の上は東大球場。大昔、大毎オリオンズの練習場にもなっており、学校帰りには、道路を歩く山内や田宮をよく見かけたものだ。
◇[根津神社]=★われわれは根津権現とか、権現さまと呼んできた。ここほど、いまだ前面が神社らしく保存されているところも、東京では珍しい。たいがいは駐車場を併営したり、切り売りをしたりして。★ただ最近、(改築とはいえ)わざとらしい色の大仰な橋を付けたのだけはイマイチ。★社殿は権現造りそのもので貴重(重文)。★徳川家宣(綱豊)の産土神。★余計なことだが、私はここの氏子である。
◇★なお昨今、根津のつつじ祭りであまりにも有名になった<つつじ>など、私の中学時代にはほとんどなかったと記憶する。江戸期の復元だとはいうものの。★そんなことより興味深いのは、この神社、本郷台が急に下降し始める崖地に立地するということ。★崖の上にはハイカラな洋館などが、またちょっとずれた位置(弥生町)には、サトーハチローの家もあった。★いまやこの崖につつじが満開となる。実にうまい配置である。
◇[日本医大下から汐見・団子坂方面へ]=★崖上には鴎外⇒漱石の家が。これは現在、犬山の明治村へ移築されている。また、坂上の和菓子の一炉庵(1903年~)は有名。店内にはたしか漱石の書があったはず。★この道(藪下通り)は、台地と谷(やと)の境界線を走る自然道。人々が藪を踏み固めてできたと思われる歴史ある道だ。★ここをのぼれば、団子坂上へと直交。
◇[本郷図書館鴎外記念室]=★ついこの間までは、ここに区立鴎外記念本郷図書館があり、大家であるべき記念室の方が店子の状態であった。★ただこの記念室、規模が小さく、 見学する価値ありかどうかは疑問。それよりも、小さな庭と門、それにロケーションを見ていただきたくて。★鴎外が名づけた観潮楼。ただ、ここから海が見えたかどうかは疑問。おそらくは否だろう。
◇★鴎外が弟子たちに、どうだ東京湾が見えるだろうと問えば、弟子は一様にうなずく。同様のことを奥さんに問えば、即座に「見えません」。★鴎外は著書の中で、やはり妻は正直だと言っている。ヨイショ弟子たちへの皮肉も込めて。★なお事前に、団体でお邪魔しますと電話を入れておいたおかげで、ベテラン学芸員の方から貴重なお話を伺うことができた。
◇[団子坂]=★ご存じ<団子坂の菊人形>は明治が全盛。★またこの坂は、当時もっと急だったと 思われる。★そばの<藪>もここが発祥の地。後に、連雀町(=神田須田町近辺で、いまも焼け残った一画ががんばっている。レトログルメ通りになって)にのれんを譲る。★団子坂を下り、不忍通りと藍染川(暗渠)を越えれば、上野台を上る三崎(さんさき)坂へ。そこはもう谷中だが、左側には三遊亭円朝と中曽根康弘で有名な禅寺の全生庵が。
◇★なおついでに言えば、森まゆみの優れたビジネス感覚から生まれた「谷根千」。★タウン誌の「谷根千」には心から敬意を払うが、われわれにあっては谷中と根津・千駄木はまったくの別物。★台東区と文京区という自治体のちがいを、そう軽視してはいけない。
◇★ちょっと自分の足で歩いてみれば、そんなことはすぐに分かろうというもの。★しかしキャッチフレーズが大好きで、マスメディアをすぐ鵜のみにする現代日本人のこと。彼らにとって谷根千は、所詮懐かしい下町のシンボルでしかないのだろう。それもきわめて観念的な。★「さすがに下町はいいわね!」。そう感嘆しながら、その実、なりたいのはシロガネーゼとくる。
◇[タクシーで水道歴史館へ]=★ここ旧・元町には、本郷給水所があった。いまは公園になり、神田上水の石樋(せきひ)も復元されている。★なお、この先にある元町公園。震災復興公園を代表する町の公園だが、愚かな行政が、いまこれをつぶそうとしている。★是非一度ご覧になっていただきたい感激の公園。後楽園から神田川沿いにお茶の水方面へとあがった左側です。
◇[壱岐坂(いきざか)を横切って文京ふるさと歴史館(旧・真砂町)へ]=★ここで販売される「文京区 史跡さんぽ地図」(文京区教育委員会)はコストパフォーマンスも含め、超お買い得で実用的。これがたったの100円とは。★なお、ふるさと歴史館もさることながら、隣接するお屋敷が何ともミステリアス。「諸井」と表札にあるから、おそらくは秩父セメント創始者の家では?★勝手口に残る木製の牛乳箱がまたいい。たしか明治と森永の。
◇[逍遥旧居跡経由、鐙坂を少し下り、一葉旧居跡へ。そして菊坂へと]=★逍遥旧居跡は名ばかり。★それよりも、炭団坂手前から左に折れたあたり、昔の本郷の趣を残していてgood!。少し前までは左の塀が典型的なお屋敷のそれであり、昼間でも怖かったほど。★谷内六郎的レトロな雰囲気が最高だった。
◇★一葉旧居跡=ここへ裏(鐙坂)から入る人は、あまりいないであろう。★手前に、金田一京助・春彦邸跡がある。こういうところに住めたらなあというのが私の夢。★一葉旧居跡には有名な井戸がある。ただし「この空間には現役の住民がおられるから、私語はお控えください」とメンバーにはお願いをした。
◇★そしてあえて菊坂湯前を通り、名もなき昔の建物(=この準3階建てがたまらない)が残る階段から菊坂へ。★10年くらい前までは、石段下に本物の駄菓子屋があった。★この一帯、悪名高きバブルには相当の耐性があったが、現在進行形の第2バブルにはいささか弱い感じで心配。
◇[カフェ金魚坂]=★江戸時代から続く金魚問屋がこんなところに。現在の女将は6代目とか。★併設のカフェ金魚坂が気に入っている。食事も可。★意外なことに、出席者からはここがいちばん評価された。★男性へ告ぐ。女性はまちがいなく喜んでくれると思います。このミスマッチとセンスとに。是非お試しを。
◇[本妙寺跡から本郷菊富士ホテル跡へ]=★明暦の大火の火元(異説あり)として有名な本妙寺跡と、田端・大森と並び文士が多くつどったという菊富士ホテル跡。★跡地を見たところでどうということはないが、この地形に?という意味では参考になる。★参加の皆さんには、当時の壮麗なホテル写真を配布した。★なお詳しくは、近藤富枝『文壇資料 本郷菊富士ホテル』(講談社・1974.10)を参照。★この辺は、女子美・佐藤高女の発祥の地でもあった。
◇[徳田秋声旧宅]=★秋声旧宅は本物で、いまも子孫が住んでおられる。★この日はもう薄暗くなっていたが、路地には夕暮れがよく似合うとあらためて感動。★ガラにもなく感傷的になった。そうだ、「ユリイカ」に投稿してみるか。
◇[求道会館~本郷館]=★求道会館は浄土真宗大谷派の僧侶・近角常観(ちかずみじょうかん)が創設。★1915~16年、武田五一(京大建築科の創設者)・戸田組の手になる煉瓦造り。★近年まで荒れ果てていたが、6年の歳月をかけて修復。2002年に再オープン。東京都有形文化財。★本当は裏側から見る洋風の寄宿舎がいいのだが、路地が閉鎖され、現在は近づけない。★でも、ライトアップされたそれが表からちらっと見え、うれしくなった。
◇★本郷館はテレビによく出る大正年間建築の木造3階建てだが、詳細は不明。約70室あるという。★いまも入居の競争率が激しいと聞く。★こういうものを重文にできるかどうかに、日本の文化度はかかっている。マジな話。
◇[東京初の立体交差?=清水橋]=★言問通りをはさみ、旧・森川町と旧・西片町とをつなぐ清水橋。★木造橋はどうやら江戸時代からあったようで、東京初の立体交差は冗談。しかしそうも言いたくなる代物だ。★一葉の日記には、空橋(からはし)という名で登場する。
◇★なお東京初の本格的立体交差は、おそらく、明治通りと目白通りが交差する地点に架かる千登世橋(1933年)ではなかろうかと、調べもせずに勝手に思っている。★この橋は、明治通りと同時に都電荒川線(旧32番)をもまたいでしまうのだ。
◇★ところで、清水橋を渡った先の西片町は、威厳ある東大教授が住んだような、文化人的お屋敷街であったが、いまは相続の問題もあるのか、切り売り(+)ハウスメーカー製金太郎飴の連続で、見る影もない。★なお西片町の崖下には、白山の花街があった。いまも若干ながら面影を残す。
◇[言問通りから白山通り、千川通りへ(途中、菊坂の旧伊勢屋質店に)]=★言問通りを右へ行けば、旧弥生町→本郷台を下って旧根津宮永町。★さらに上野台を上って谷中。もう一度下りながらJRを渡り、根岸・入谷・浅草方面へとつづく。★左へ行けば、白山通りと交差。さらに進むと千川通りに突き当たる。そこがこんにゃく閻魔の源覚寺。
◇ ★なお、千川通りには旧小石川の暗渠が。右折すると、「太陽のない町」舞台の共同印刷方面へ。東大の小石川植物園(いまは長ったらしい名前)は右側にある。★そして旧東京教育大・占春園の崖下から大塚駅方面へと。
◇散歩のあとは春日駅近くの居酒屋で乾杯をし、気持ちのいい疲れを癒やした。◇おそらくは、トータル9000歩くらいか。(敬称略)
★★[IFSA]★★阿部道生
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